呪われた国日本への道―天野千春の雑記帳

天皇制解体の動きが活発化している。このままでは日本は、その歴史と伝統に呪われても仕方がない。天野千春の雑記帳。

モーツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551(1)前書

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 1781年から始まるウィーン時代(注1)のモーツァルトは、J.S.バッハヘンデルらのフーガを濃密に研究する機会を得ました。それは、既に熟練していたといってよい彼の対位法やフーガの技術に更なる厚みを加え、その音楽におけるポリフォニーへの傾倒とホモフォニーとの融合の深化を齎しました。
 1782年4月10日付で、モーツァルトは、父レオポルドに宛てて次の有名な手紙を送っています。


 ぼくは毎日曜日、十二時に、ヴァン・スヴィーテン男爵のところへ行きます。そこでは、ヘンデルとバッハ以外は何も演奏されません。ぼくはいま、バッハのフーガを集めています。ゼバスティアンの作品だけでなくエマーヌエルやフリーデマン・バッハのも含めてです。それからヘンデルのも。(中略)イギリスのバッハ(ヨハン・クリスチャン・バッハ Johann Christian Bach 1753-1782)が亡くなったことは御存知ですね?音楽界にとってなんという損失でしょう!
(海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅴ』225頁、白水社、1995年)


 ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン(Gottfried van Swieten)男爵(注2)は、駐プロイセン大使としてベルリンに滞在した折にC.F.E.バッハとの知遇を得、J.S.バッハの作品を蒐集する機会に恵まれました。ウィーンに帰任後、それにヘンデルやバッハ兄弟の作品を加えたコレクションを、サロンで披露したといいます。
 モーツァルトは、既に卓越した対位法やフーガの技術をもっており、素晴らしいポリフォニー音楽を特に教会音楽として残していました(注3)。この優れたコレクションは、その技術に磨きをかける機会をモーツァルトに与えたのです。
 晩年にスヴィーテン男爵がヘンデルの作品の編曲を依頼してますが、これは男爵のモーツァルトポリフォニーの技術に対する信頼を表しています。男爵は、1789年3月21日付の依頼の手紙で次のように賛辞を述べています。


 ヘンデルをまったく壮麗に、しかも様式感にあふれるかたちで美しく表現することができ、そのため、一方では流行の最先端を行く伊達者にも気に入り、しかも他方では、それでもいつもおのれを崇高さのうちに開示する人、そういう人はヘンデルの価値を感じ取り、彼を理解した人であり、彼の表現の源泉に到達した人であり、そこから確実に汲み尽くすことが出来る人であり、汲み尽くすでしょう。
(海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅵ』487頁、白水社、2001年)


 男爵はここに、ポリフォニーとホモフォニーの高度な融合を見ています。
 もちろん、ポリフォニーとホモフォニーの融合は、バロックから古典期への過渡期であったモーツァルトの時代に、多くの音楽家が試みたことです。しかし、モーツァルトは、そのどちらにも幼いころから精通していたのみならず、同時代や前時代の音楽家の作品への研究を欠かしませんでした。モーツァルトの作品を見れば、早い段階からポリフォニーとホモフォニーの高度な融合が試みられていることが分かります(注3参照)。
 K.551は、そのような卓越した対位法やフーガの技術によるポリフォニーと、時代の潮流であった古典期におけるソナタ形式によるホモフォニーとの融合の極致として、最後の交響曲に相応しい威風をもっているのです。


(注1)
1781年5月、モーツァルトはかねて対立していたザルツブルク大司教コロレド伯ヒエロニュムス(Hieronymus Graf von Colloredo)より解雇され、ウィーンに移る。以後ザルツブルク宮廷と決別し、ウィーン宮廷作曲家(音楽家)としての地位を求めて作曲・演奏活動に勤しむ。

Count Hieronymus von Colloredo ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Count_Hieronymus_von_Colloredo(平成29年6月6日アクセス)


(注2)
1733-1803。
オランダに生まれるが、マリア・テレジアの侍医となった父に同行してウィーンに移る。外交官として長く勤め、ウィーンに帰ってからは宮廷図書館館長、書籍検閲委員長を歴任。バロック音楽に通じ、モーツァルトハイドンベートーヴェンらを後援するなど、ウィーン音楽界の庇護者であり続けた。

Gottfried van Swieten ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Gottfried_van_Swieten(平成29年6月6日アクセス)


(注3)
例えば、『聖節の奉献歌「主の御憐みを」ニ短調K.222(205a)』など。K.551と同じく、ポリフォニーのフーガとホモフォニーのソナタ形式との融合が既に達成されている。

カルル・ド・ニは、この作品について次のように述べている。


対位法の「練習」などというものではない。表情に満ちた冒頭の和音はすぐにフーガに続くが、それは歌詞が神の永遠性を表しているものだからである。この曲の特徴は荘厳極まりないポリフォニーであり、また他に類を見ないほどの豊かな表情をもった非常に斬新なハーモニーでもある。もしこの曲がモーツァルトのどの曲に近いかと聞かれたら、もっとずっと後のたとえば K.427のハ短調の大ミサや、未完のレクイエムを挙げなければならないだろう。
(『モーツァルトの宗教音楽』87頁、相良憲昭訳、白水社、1989年)


また、『モーツァルト全作品事典』(44頁、ザスロー編 森泰彦監訳、音楽之友社 、2006年)は次のように解説している。


モーツァルトポリフォニーにおいても熟練した腕前を示そうと考え、キリストの自己犠牲についての歌詞を応唱の様式で処理する際に、独唱と合唱に分割するという慣習的な方法ではなく、合唱によるホモフォニー(ミゼリコルディアス・ドミニ)とポリフォニー(カンターボ・イン・エテルナム)を交替させる方法を用いた。この交替は11回行なわれる。この作品は、音楽の繰り返しを避け、歌詞の感情的内容に注意を向けている点で、対位法楽曲の傑作となっている。


ルフレート・アインシュタイン、浅井真男訳『モーツァルト、その人間と作品』白水社、1961年
カルル・ド・ニ、相良憲昭訳『モーツァルトの宗教音楽』白水社、1989年
ザスロー編、森泰彦監訳『モーツァルト全作品事典』音楽之友社 、2006年
海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅴ』白水社、1995年
海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅵ』白水社、2001年
田辺秀樹『モーツァルト―カラー版作曲家の生涯』新潮社、1984

 

 


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