呪われた国日本への道―天野千春の雑記帳

天皇制解体の動きが活発化している。このままでは日本は、その歴史と伝統に呪われても仕方がない。天野千春の雑記帳。

法の支配(Rule of Law)(2)アプローチ―田中成明博士による整理

法の支配(Rule of Law)(2)アプローチ―田中成明博士による整理

2 「法の支配(Rule of Law)」概念へのアプローチ

Ⅰ 田中成明博士による整理―形式的アプローチと実質的アプローチ

 前項(「法の支配(Rule of Law)(1)前書」注4参照)で述べたように、「法の支配」における「法」とは慣習法(コモン・ロー)、又は誰もが納得する一般的で抽象的な形式的正義(注1)や手続的正義(注2)であるとする二つのアプローチが通説的である。しかし、我が国においては、「法」の中に、実質的正義(価値)(注3)を見出すアプローチが有力である。
 我が国における法理学の第一人者である田中成明博士(注4)は、「法の支配」概念へのアプローチの違いについて、その大著『現代法理学』(有斐閣、2011年)で、次のように整理しておられる。尚、引用中の注は本ブログによるのものである。


 ”わが国における「法の支配」をめぐる最近の議論では、「法の支配」は、最も狭い意味では、英米における伝統的な「人の支配ではなく、法の支配を」という「法の支配(Rule of Law)」原理と同じものと理解されており、このような共通の理解を背景に、様々な「法の支配」論が展開されている”


 田中博士は、前項で見たように、「法の支配」は、「人の支配」ではない、という法学者の共通した認識を議論の土台としおられる。ここで法の支配は「人の支配ではなく」というように消極的に定義されている。そこでは、「人の支配ではない支配とは如何なる支配か」という疑問、つまり「法の支配」における「法」とは何かについての定義はされていない。したがって田中博士の言うように様々な論が展開される余地がある。

 

 ”そして日本国憲法の基礎にあるのはこのような英米法的な「法の支配」であり、このことは、①憲法の最高法規性の明確化、②不可侵の人権の保障、③適正手続きの保障、④司法権の拡大強化、⑤違憲審査制の確立、などのその特徴に照らして明らかであるという理解が、戦後憲法学(注5)の通説的見解である”


 田中博士によれば、戦後憲法学の通説的見解は、以下の憲法規定(注6)が、日本国憲法が法の支配(≠人の支配、恣意的な権力濫用の抑止という文脈)を組み込んでいることの証左である、という。
憲法の最高法規性の明確化(98Ⅰ)
②不可侵の人権の保障(11及び13)
③適正手続きの保障(31)
司法権の拡大強化(76)
違憲審査制(81)
 思うに、どれだけ法の支配に合致する憲法規定を引いても法の支配を組み込んでいることの証左にはならない。例えば①について言えば、なぜ憲法が国の最高法規か、という疑問に「憲法98条にそう書いてあるから」と答えたのでは、証明したことにならないように、日本国憲法は法の支配を組み込んでいるかという疑問に「憲法〇条にそう書いてあるから」と答えたのでは証明したことにならない。所謂自己言及のパラドクス(注7)である。


 ”「法の支配」の概念や要請内容をめぐる最近の議論については、フラーの「合法性」概念(注8)などを中核に法の形成・実現に関する形式的・手続的要請に限定して理解する形式的アプローチと、一定の基本権・民主制・立憲主義などの制度的要請を取り込んで理解する実質的アプローチとを対比する構図が一般的である”

 田中博士は、「法の支配」概念へのアプローチを、「形式的アプローチ」と「実質的アプローチ」に分類する。本ブログでは、この別を前提として、我が国の法学者達の論を見ていくことにする。
 ところで、ここで本ブログの立場(我が国の歴史と文化によって自生的に生起した慣習が、実践を通して古き良き慣習法(コモン・ロー)として発見され、実定法に優位する法原則として機能する)は実質的アプローチに近いが、異なる。
 例えば、ウィキペディアによれば、「法の支配」概念へのアプローチには、3つの手法があるという。

 ”Among modern legal theorists, one finds that at least two principal conceptions of the rule of law can be identified: a formalist or "thin" definition, and a substantive or "thick" definition; one occasionally encounters a third "functional" conception.”

https://en.wikipedia.org/wiki/Rule_of_law#Meaning_and_categorization_of_interpretations

Rule of Law ウィキペディア(平成29年6月4日アクセス)

 3つ目の「Functional Definition」について、同じく3つの手法に分類しているものによれば、

 ”A third approach to the rule of law is similar to the substantive definition, but tries to avoid the thorny normative issues by focusing on how well the law and legal system perform some function.”

 ”The functional definition of the rule of law is broadly consistent with the traditional meaning of the English phrase, which has usually been contrasted with "rule of man."It has the advantage, too, of defining the rule of law according to outcome-related criteria, but not requiring a moral verdict on the desirability of that outcome. ”

http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/TOPICS/EXTLAWJUSTINST/0,,contentMDK:20763583~menuPK:1989584~pagePK:210058~piPK:210062~theSitePK:1974062,00.html

Rule of Law as a Goal of Development Policy, The World Bank(平成29年6月4日アクセス)


 つまり「法の支配」概念へのアプローチにおける本ブログの立場は、上に言う「functionalアプローチ」に近く、次のようなものである。

・「法」の中に「慣習(法)を尊重せよ」という実質的価値を含む点で「実質的アプローチ」に類似している。

・しかし、「法の支配」概念の内容に焦点を当てるのではなく、その機能(function)に焦点を当てる点で、「形式的アプローチ」、「実質的アプローチ」と異なる。

・「形式的アプローチ」、「実質的アプローチ」は、「法の支配」における「法」とは何か、という正義の問題からアプローチを開始するが、「functionalアプローチ」においては、何が「法」かという正義の問題に体系的に答えることはできない。

・なぜなら、歴史と文化から自生的に生起した慣習が実践を通して古き良き慣習法(コモン・ロー)として「発見」され、これが「法の支配」における「法」として実定法を統御・否定すると考えるからである。「法」の生成・内容は共同体それぞれの歴史と文化、慣習に依存しており、「あるべき法」よりも「ある法」、そしてその発生と機能を重視する。

・したがって、「functionalアプローチ」においては、「人の支配」=権力濫用、の抑止という「法の支配」が機能しているかというアプローチから開始すれば足りる。




注1
 法が一般的で抽象的であるとは、法が普遍化可能性を満たしていることといってよい。つまり、法は、特定の人に対して特定の方法で適用されるのではなく、全ての人に対して不偏不党に適用されるルールでなければならない。
「等しきものは等しく、等しからざるものは等しからざるように取り扱え」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)

「法の社会的役割と基本的価値の理解のために」(田中成明教授資料) 法務省
http://www.moj.go.jp/content/000004263.pdf


注2
 手続的正しさを満たすこと。それによって結果の正しさが確保される。ここで手続的正しさは、例えば自然的正義(不利益の告知及び聴聞並びに自己裁判の否定)、適正手続(due process)の観念を基礎に形成される。

「法の社会的役割と基本的価値の理解のために」(田中成明教授資料) 法務省
http://www.moj.go.jp/content/000004263.pdf

Procedual Justice ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Procedural_justice(平成29年6月4日アクセス)

Administration of justice ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Administration_of_justice(平成29年6月4日アクセス)

Natural justice ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Natural_justice(平成29年6月4日アクセス)

Due process ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Due_process(平成29年6月4日アクセス)


注3
 「法」の正しさを形式的正義・手続的正義といった法に内在する価値に限定するのではなく、法の外にある政治的・経済的・道徳的な価値に依存させる。
 例えば、我が国の戦後憲法学は、基本権・民主制・立憲主義などの価値を満たさなければ、「法」とは言えないとしてきた。

「法の社会的役割と基本的価値の理解のために」(田中成明教授資料) 法務省
http://www.moj.go.jp/content/000004263.pdf


注4
 昭和17年-、京都大学名誉教授。我が国法理学及び法哲学の第一人者。理念的なドイツ法学に耽溺する所謂東大法学とは異なり、司法の実践(裁判)を重視した法理学を探求。英米法にも明るい。

田中成明 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%88%90%E6%98%8E(平成29年6月4日アクセス)


注5
 戦後の憲法学は、二大潮流として、

東大憲法

宮沢俊義小林直樹芦部信喜高橋和之、渋谷秀樹、樋口陽一、野中俊彦、高見勝利、深瀬忠一、中村睦男、安西文雄、巻美矢紀、宍戸常寿、渡邉康行、松本和彦ら

京都学派憲法

:佐々木惣一博士、大石義雄博士、佐藤幸治、大石眞ら

があるが、どちらもドイツ・フランス流の大陸法学の影響が強い。
 本ブログは、英米法学の潮流を汲む長谷部恭男博士、伊藤正己博士、阪本昌成、松井茂記らの学説に納得するところ多い。

講座担任者から見た憲法学説の諸相-日本憲法学史序説 高見勝利
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/15092/1/52%283%29_p1-38.pdf


注6
憲法の最高法規性の明確化
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない(98Ⅰ)
②不可侵の人権の保障
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる(11)

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(13)
③適正手続きの保障
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない(31)
司法権の拡大強化
すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する(76Ⅰ)

特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない(76Ⅱ)

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される(76Ⅲ)

違憲審査制
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である(81)

 「法の支配」とは、「高度な技術を持つ専門家(裁判官など)が具体的事件において妥当な結論を正当化する(技巧的条理)」ときに発見される慣習法(コモン・ロー)が実定法(人の意思)を統御することである。
 しかし、例えばフランス革命以後の合理主義哲学、民主主義の昂揚の影響を受けた法治主義国家ドイツにおいては、連邦憲法裁判所があらゆる種類の法規範について具体的事件を離れて合憲性を判断できた。そこでは、法とは発見される=自生的なものではなく、所与のもの=人為的なものであって、憲法典=実定法(人の意思)が最高規範であった。最高規範たる憲法典=実定法(人の意思)は、基本権・民主制・立憲主義という実質的正義(価値)を内包しており、その諸価値は絶対で、それらを内包しているが故に「法」であるという者すらあった。
 これでは、憲法典=実定法(人の意思)が支配する「人の支配」、「法治主義」でしかないのである。「法の支配」概念を、「実質的アプローチ」によって解釈することは危険である。例えば、共産主義という実質的価値が絶対的価値として憲法典に書き込まれたことがあったことを思い出せばよい。


注7
 ある集合の公理を、ある集合内の公理によって論証することはできない。

Liar paradox ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Liar_paradox(平成29年6月4日アクセス)


注8
 田中博士は、フラーの「合法性」概念について、同書で次のように述べている。

 ”「合法性(legality)」という一連の手続的要請を法システム自体の存立と作動に関わる内在的な構成・運用原理として提示したL.L.フラー(は)、(中略)一般的に目的=手段関係の考察において、社会的目的を実現する制度や手続自体に内在する制約を重視すべきことを力説した”
 ”法システムについても、合法性を「法を可能ならしめる道徳」「法内在的道徳」として、この種の内在的制約と位置づけ、この合法性が法によって実現できる実質的目的の種類を限定していることに注意を喚起している”
 ”フラーは、合法性の基本的要請として、①法の一般性、②公布(の事実)、③遡及法の濫用の禁止、④法律の明晰性、⑤法律の無矛盾性、⑥法律の服従可能性、⑦法の相対的恒常性、⑧公権力の行動と法律との合致、という八つを挙げている。合法性の要請は基本的に手続的なものであり、法外在的な実質的目的に対しても、たいていは中立的であるが、人間を責任を負う行為主体とみる点では中立的ではなく、 このような人間の尊厳を損なう実質的目的を法システムによって追求することは許されないと考えている”

 「形式的アプローチ」が考える「法の支配」における「法」(形式的正義・手続的正義)は、フラーの「合法性」の要請に概ね合致している。言い換えれば、「形式的アプローチ」にいう「法の支配」とは、法が法であるための条件を定めた「法」が、実定法(人の意思)を制御し、否定することをいう。
 尚、フラーは再生自然法論者で、この「法」を法に内在する「道徳」であるとし、それが、法に組み込める実質的正義(価値)を限定しているとする立場であり、実質的アプローチに立つ。

 

 


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