呪われた国日本への道―天野千春の雑記帳

天皇制解体の動きが活発化している。このままでは日本は、その歴史と伝統に呪われても仕方がない。天野千春の雑記帳。

法の支配(Rule of Law)(1)前書

法の支配(Rule of Law)(1)前書


1 法の支配(Rulee of Law)の確立―高柳賢三博士の格調高いエピソード

 我が国の英米法学の泰斗である高柳賢三博士(注1)は、その著書『英米法講義 第三巻 司法権の優位』(有斐閣、1958年)において、次のようなエピソードを紹介されている。尚、文中の注は本ブログ。

 一六一二年一一月一〇日(注2)、ちょうどそれは日曜日であった。カンタベリー大僧正パンクロフトの訴によって、他の裁判官たちとともに、国王ジェイムズ一世の御前に召されたコモン・ロー裁判所首席裁判官エドワード・コーク(注3)は、(中略)コモン・ロー優位ならびにこのより高い法の解釈についてのコモン・ローの権限について、彼の持論を述べる機会が与えられた。(中略)コークはジェイムズ一世の前に平伏して、「陛下よ、陛下は神より聡明なる資性を恵まれておいでになるが、しかし陛下はイギリスの法律に通暁されていない。そして陛下の臣民の生命と財産に関する事件は、自然的条理 national reason によって決せられるべきではなく、技巧的条理 artificial reason および法的判断によって、決せられるべきである。そして法は、永年の経験と研究によりはじめてこれを知りうる技術である(注4)」旨を奏上したのである。ジェイムズ一世はこの答弁をお聞きになるや激怒の色を面に表して、「国王が法の下にあると主張するのは大逆罪だ」と宣べられた。これに対してコークは冷静水のごとく、ブラクトン(注5)の古語を引いて「国王は何人にも従うべきではない。ただ神と法とに従わねばならぬ(注6)」旨を奏上したのである。

 類似のエピソードは、高柳博士の格調に遠く及ばないものの、様々な書籍で「法の支配」の確立をよく表すものとして紹介されており、このコーク卿の言葉が「法の支配(Rule of Law)」の概念の原型だといってよいだろう。
 では、コークのいう「法の支配」の概念とは如何なるものか(注4参照)。本ブログは、コーク卿のいう「法の支配」に立脚しているが、その理解のためには、英国「法」(コモン・ロー)とは何か、そしてその(運用・適用の)実践についての理解が必要になる。ここでは、「裁判などの実践において、法的判断をすることが可能な専門家集団(裁判官など)が妥当な結論を正当化する(技巧的条理 artificial reason)際に発見する古き良き慣習法(コモン・ロー)が、人の意思による実定法を統御・否定する」こと、とするに留めておく。
 また、このような「法の支配」の概念は、「発見」される慣習法(コモン・ロー)による支配という意味から、人為的な憲法典を最高法規として、そこに実質的正義(価値)を見出して法治主義に至ったり、逆に「法の支配」を形式的正義・手続的正義による支配、と限定するなど、拡大・縮小しており、議論が絶えない。
 そこで、ひとまず「法の支配」の概念を消極的に定義しておく。
 つまり、
・法の支配は、人の支配(注7)ではない
・法の支配は、法治主義(注8)ではない
 この点については、多くの法学者が一致をみていると思われるからである。
 その上で、以下では「法の支配」の概念とは如何なるものかについて、我が国の憲法学者法哲学者に見たい。

 尚、本ブログで「法の支配」について扱うのは、先に述べたように、本ブログが、我が国の歴史と文化によって自生的に生起した慣習が、実践を通して慣習法(コモン・ロー)として発見され、実定法に優位する法原則として機能していると考えているからである。例えば皇位継承は係る意味での「法の支配」に服している(慣習法たる男系継承)以上、所謂女系天皇践祚は認められないものと考える。



注1
 東京帝国大学法科大学卒、東京大学法学部教授、戦後は成蹊大学学長も務めた。美濃部、宮澤らがドイツ法学に耽溺したのに対し、高柳博士は戦前・戦後を通じて我が国英米法学の第一人者であった。明治20生まれ、昭和42年没。勲一等瑞宝章正三位

高橋賢三 ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9F%B3%E8%B3%A2%E4%B8%89


注2
 年月日は、コークの判例集(The Reports of Sir Edward Coke, Lord Chief Justice of England, PartⅫ)の禁止令状事件(the Case of Prohibitions)のエピソードに拠っている。高柳博士はこのエピソードを「大体コークの判例集を基礎とした記述であるが、この記述が正確であるのか否かについては疑いがある」とされたうえで、「この事件についての歴史的考証をなしたものとして」次の文献を挙げておられる(未確認)。

Roland G. Usher, James I and Sir Edward Coke, The English Historical Review Vol. 18, No. 72 (Oct., 1903) Oxford University Press

 尚、コークの判例については以下を参照。

England and Wales High Court (King's Bench Division) Decisions, Prohibitions, Case of [1607] EWHC KB J23 (01 November 1607) , JISC-Supported Leading Cases
http://www.bailii.org/ew/cases/EWHC/KB/1607/J23.html(平成29年6月1日アクセス)


注3
 コークについては以下を参照。

Edward Coke ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Coke


注4
 「(慣習)法(コモン・ロー)」は、「永年の経験と研究によりはじめてこれを知りうる(共同体の歴史と文化により自生し、発見される)」のであって、高度な技術を持つ(=「法的判断」のできる)専門家集団(主に裁判官)が妥当な決定を理由づける(「技巧的条理」 artificial reason) 際に発見され、運用・解釈される。そして、「王(の意思たる勅令等)」は、その「(慣習)法(コモン・ローの)」の下にあって、統御・否定される。これがコーク卿のいう「法の支配」である。
 一方「法」を、形式的正義・手続的正義に限定して解する立場では、決定が妥当であるためには、適用される法が全ての共同体構成員に受け入れられる一般的で抽象的なものでなければならないとする。この「一般的で抽象的なものでなければならない」というルールを彼らは「法」と呼ぶ。すなわち、「法」とは法が法であるための条件であり、この「法(形式的正義・手続的正義)」によって王や人民の意思=法は統御・否定されなければならない、としてこれを「法の支配」と呼ぶ。
 本ブログは、前者の立場が「法の支配」の歴史的解釈であると考えるが、ハート(Herbert Lionel Adolphus Hart)等、法実証主義者が台頭してきた近代にあっては、後者の解釈も有力である。
 尚、この二つの解釈の他に、「法の支配」における「法」に人為的な実質的正義(価値)を組み込む立場があり、我が国ではこの立場が主流である。この立場においては、例えば人権という実質的正義(価値)を「法」であるとして、人権のない天皇の存在は「法の支配」に反するとするものがある。この立場は何らかの価値に立脚する点で、結局「人の支配」と同じである。
 ところで、高柳博士はここで reason の訳として「条理」を用いておられるが、一般には「理性」を用いる場合が多い。「条理」という言葉は、自然法(すなわち実質的正義)との差別化を明確にするとともに、コモン・ローが実質的価値を含まない、慣習法又は形式的正義や手続的正義に留まる、ということを明確にしようとお考えになったのではなかろうか。
 また、コークはボナム医師事件(Bonham's Case)において論を述べている。
 正義論などもいずれ本ブログでも取り扱うことになろう。


注5
 ブラクトンについては以下を参照。

Henry de Bracton ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_de_Bracton


注6
「国王は何人にも従うべきではない。ただ神と法とに従わねばならぬ」
(Ipse autem rex non debet esse sub hemine, sed sub Deo et sub lege)
 『イングランドの法と慣習法』(De Legibus Et Consuetudinibus Angliæ)にある法諺。英国法制史の泰斗であったフレデリック・メイトランド(Frederic William Maitland)は、この法諺について"the crown and flower of English jurisprudence."(英国法学の冠と華)としている。

以下を参照。

Bracton: De Legibus Et Consuetudinibus Angliæ, Harvard Law School Library
http://bracton.law.harvard.edu(平成29年6月1日アクセス)


注7
 ある権力者(国王や集合としての国民)による恣意的な権力発動による支配。
 注4にあるように、「法の支配」とは、慣習法(コモン・ロー)又は形式的正義・手続的正義が「法」としてこれを統御・否定することをいう。


注8
 (国民の権利義務に関する)立法は、国民意志の代表である議会で実定法化され、行政の執行は法律に依存し、裁判所は法律に準拠して裁判を行わなければならない、とする理論。合理主義哲学やフランス革命以後の民主主義の風潮によって、民衆の意思が法を作り、民衆の意思によって行政と裁判が行われるようになった欧州大陸で盛んになった。
 注4にあるように、慣習法(コモン・ロー)や形式的正義・手続的正義という「法」は、実定法=民衆の意思を統御し、否定する。

詳しくは以下を参照。

Rechtsstaat ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://en.wikipedia.org/wiki/Rechtsstaat




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