呪われた国日本への道―天野千春の雑記帳

天皇制解体の動きが活発化している。このままでは日本は、その歴史と伝統に呪われても仕方がない。天野千春の雑記帳。

モーツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551(3)曲の内容:第1楽章 Allegro Vivace

2 曲の内容

Ⅰ 第1楽章 Allegro Vivace

 第1楽章は、Allegro Vivaceハ長調、4分の4拍子で、ソナタ形式です。
 モーツァルト交響曲としては比較的長い第1楽章で、全体で313小節あります。
 楽章の構成は次の通りです。尚、特に断りがない場合数字は小節数を表しています。

・呈示部 1-120
     第1主題呈示部分  1-23  ハ長調
     経過句A  24-55 
     第2主題呈示部分  56-80  ト長調
     経過句B  81-100
     第3主題呈示部分  101-120 ト長調
・展開部 121-188
     第1部  121-160 変ホ長調からヘ長調、第3主題の展開
     第2部  161-180    ヘ長調、第1主題の展開
     第3部  181-189 ホ長調からハ長調
・再現部 189-313
     第1主題  189-211 ハ長調
     経過句A  212-243
     第2主題  244-259 ト長調
     経過句B  260-288
     第3主題  289-313 ハ長調

 


ⅰ 呈示部(1-120)

a 第1主題呈示部分(1-23)

 第23小節のG音フェルマータまでが第1主題(1-23)を形成します。重要な動機はK.504を思わせる冒頭の4小節で、fの2小節とpの2小節の対比となっています。
 fの2小節は、ティンパニを含んだユニゾンで1拍目と3拍目でC音が同音連打で強調され、その間は、属音のG音からの上行三連符が組み込まれ、リズミカルな印象を与えます。
 休符を挟んだpの2小節では、弦楽器によって付点リズムによる応答が和声的に奏され、前2小節と対比されます。この第3-4小節の付点リズムは、楽想を構成する重要な動機で、この動機を(a)としておきましょう。
 さて、この4小節の動機が属音のGを基点に繰り返され、第9小節からは、ハ長調交響曲の伝統であるファンファーレがトゥッティで高らかに鳴り響きます。ここで注目すべきは、第一に冒頭動機の上行三連符が中弦によって下行32連符として反転していること。これが管楽器の同音連打と伴っていることで、冒頭動機が継続し、移行が非常にスムーズになされます。第二は、第1ヴァイオリンの動きです。第9小節から1・4拍目に音がありますが、4拍目の音の進行を取り出してみると、(C-F-G-C-F-G…)と、ハ長調サブドミナントとなっており、力強い行進を助けているのです。
 このファンファーレはそのまま拡大され、第17小節からは下行32連符が消えて和声的な進行となり、クライマックスを築くと、第23小節でG音のフェルマータで半休止。第1主題の呈示部分が終わります。


b 経過句A(24-55)

 続いて第24小節からは、第1主題を使用した、第2主題への経過句Aが始まります。
 第1主題の旋律はヴァイオリンで奏されますが、ここでは4小節の間におけるfとpの対比はなく、pに統一されています。一方で、フルートとオーボエに2分音符オクターヴ上昇→8分音符オクターヴ下行進行というK.504対旋律が加わっています。これは、ホルンの対旋律とも合わさって、ホモフォニーであった第1主題が対位法的なポリフォニーへと発展したと見ることができるのではないでしょうか。
 第30小節からは、付点リズムの動機(a)の後半部分が繰り返され、和声が短調に変調しますが、第37小節で属調ト長調に至り安定します。
 第39小節からは、(a)とファンファーレの音型が組み合わさって、和声的に繰り返され、第49小節からは(a)に代わって下行32連符が出現し、ファンファーレによって、経過句Aが締めくくられます。


c 第2主題呈示部分(56-80)

 ソナタ形式ですから、第2主題は勿論ト長調です。
 第2ヴァイオリンによる8分音符伴奏の上に、第1ヴァイオリンが主題旋律を載せます。主題は、6小節をひと纏まりとして、2小節の半音上行→2小節の下行で属音Dに至る→付点リズムの動機(a)の変化形+半音階上行の形をとっています。
 ソナタ形式にかかわらず、主題と主題は比較されますが。この第2主題は第1主題と比べてどのような違いがあるでしょうか。
 例えば、リズミカルであまり旋律的な要素をもっていなかった第1主題と比べると、第2主題はかなり旋律の形がはっきりしています。また、トゥッティの多かった第1主題と比べると、伴奏と主旋律がヴァイオリンに固定され、そこに管楽器が合いの手を挟むという形をとっています。あるいは、第1主題が8小節をひと纏まりとした構成だったのに対して、第2主題は6小節がひと纏まりになっており、付点リズムの動機(a)の音価が半分になり、上行から下行になっていることもそうでしょう。
 ところで、第2主題冒頭の2小節の半音上行(56-57)は、実は第48小節に既に現れています。こうした先行する動機から有機的に旋律や楽想を導くことは、モーツァルトが得意とするところです。
 さて、第56小節から始まった第1ヴァイオリンの第2主題は、第62小節からは1stファゴットを加えて繰り返されます。第67小節からはフレーズを完成させるためにフルートが入って、第71小節でフレーズは終止しようとしますが、低弦が付点リズム動機(a)を挟みこんで第1主題におけるファンファーレの要素(下行32連符)のあるパッセージを導いて、終止を阻止します。
 しかし、そのパッセージも第79小節で属七(F)に至ると、第1楽章がフェルマータで経過句Aに移行したように、第80小節でゲネラルパウゼになり、経過句Bに移行します。


d 経過句B(81-100)

 第81小節からは、第1主題に基づくポリフォニックな経過句Aとは対照的に、ハ短調の和音が力強く連打されます。この同音連打の力強さは、第1小節から第2小節を想起させます。
 短調和音は、第83小節で半音上がってハ長調に回帰すると、ヴァイオリンがハ長調の分散和音で上行し、第88小節で一区切りとなります。
 その後、第89小節からは、G音の保続音上で付点リズム動機(a)がヴァイオリン、ファゴット、低弦に現われます。
 第94小節からはヴァイオリンはシンコペーションに回り、木管が(a)を受け継いでクライマックスを形成、第100小節でゲネラルパウゼし、推移句Bを終えます。


e 第3主題呈示部分(101-120)

 第101小節からは、呈示部の終結句として第3主題といってもよい、新しいフレーズが現れます。この主題は、サルティ(Giuseppe Sarti)のオペラ『野暮な嫉妬 Le gelosie』のためにアンフォッシ(Pasquale Anfossi)が書いたアリアから採られています。
 低弦の分散和音による伴奏の上で弦楽器が旋律を奏し、順次木管が加わってゆきます。また、この旋律の最後の2小節に(107-108)付点リズム動機(a)が付け加えられていることにも注意しなければなりません。
 第111小節からはトゥッティにより呈示部のクライマックスが形成され、第117小節からは第1主題ファンファーレの要素が加わって、呈示部が終結します。


Ⅱ 展開部(121-188)

a 第1部(121-160)

 第121小節から第123小節にかけて、木管の和声進行によってト長調から変ホ長調への転調が行われます。その後、変ホ長調で第3主題が奏され、第133小節からは旋律の最後の小節が繰り返されて第3主題の展開が始まります。
 まず、第133小節から第139小節にかけては、上行し、変ホ長調からヘ短調ト短調へ転調します。第1主題のファンファーレ伴奏の上で、2小節を単位とする繰り返しを、ヴァイオリンと低弦が1小節ずらして交互に奏します。
 第139小節から第146小節にかけては経過句Aのオクターヴ上昇を想起させる伴奏の上で、繰り返しが下行形に変化します。同時に、1小節だったズレが、半小節に短縮され、第143小節から第144小節においては、繰り返しの単位も1小節に短縮されています。
 第147小節以降は、極めて華麗な転調が続きます。
 第147小節から第153小節にかけては、ト短調からニ短調イ短調ヘ長調を介してホ長調、そして第153小節から第161小節に向けてヘ長調への転調が行われています。ここでは、フルートの半音進行(155-156)、弦の半音進行(157-160)の動きが重要になっています。


b 第2部(161-180)

 第161小節からは、ハ長調サブドミナントであるヘ長調によって第1主題の再現が偽装され、展開されます。偽装といっても全体のダイナミクスはpですし、推移句Aのオクターヴ進行が入っており、何よりもヘ長調である点で展開部の範疇を出ません。
 この第1主題の前半部分が展開されて第171小節でイ短調に達すると、第1主題後半のファンファーレ部分が展開されます。ここでは、ヴァイオリンによって上行三連符、下行32連符という第1主題の前半後半の特徴が一緒に使われ、展開部のクライマックスを築きます。


c 第3部(181-189)

 第153小節から第161小節への転調と同じように、第3主題最後のフレーズが繰り返されて、第181小節からハ長調による再現部に向けた転調が行われます。但し、前者の繰り返しがヴァイオリンが主体であったのに対して、後者は木管が主体となっています。
 転調の末に第188小節でハ長調構成音による下行が始まると、ハ長調による再現部が導かれます。


ⅲ 再現部(189-313)

a 第1主題再現部分(189-211)

 ハ長調によって呈示部と同様に再現されています。


b 経過句A再現部分(212-243)

 調性にいくらか変化がありますが、そのほかは同じです。


c 第2主題再現部分(244-268)

 呈示部でト長調であったところ、ハ長調で再現がなされています。また、木管の装飾が豊かになっています。

d 経過句B再現部分(269-288)

 調性にいくらか変化がありますが、そのほかは同じです。

e 第3主題再現部分(289-313)

 ハ長調によって再現され、最後はそのまま主和音を強奏して第1楽章を終えます。




Symphony No.41 in C major, K.551 (Mozart, Wolfgang Amadeus) IMSLP(平成29年6月9日アクセス)
http://imslp.org/wiki/Symphony_No.41,_K.551_(Mozart,_Wolfgang_Amadeus)

Sisman, Elaine Mozart:The 'Jupiter' Symphony. Cambridge University Press, 1993
辻荘一解説『モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」ハ長調 K.551』全音楽譜出版社、2009年


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モーツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551(2)概説

1 概説

   1788年のモーツァルトの経済状況は芳しくありませんでした。前年12月に拝命した皇王室宮廷(室内)作曲家の俸給は、前任のグルックが年間2000フローリンであったのに対し、モーツァルトのそれは年間800フローリン(注1)で、2月5日には、ブルク劇場に次ぐウィーン宮廷劇場であったケルントナートーア劇場が閉鎖され、ジングシュピール上演の機会が減ってしまいました(注2)。                                     

    これはおそらく、前年8月から続く露土戦争に参戦するための財政措置の一環であり、この戦争のために皇帝ヨーゼフ2世は、1788年2月、自らセルビアまで親征しています。そのため、ウィーンに出仕していた貴族やその夫人たちは、戦地に赴いたり、自領に戻っており、1784年には174人を数えたモーツァルトの予約演奏会の予約者は激減(注3)し、演奏会の開催すら覚束無い有様でした。
    5月7日にはプラハで大成功を収めた『ドン・ジョヴァンニ』のウィーン初演も行われましたが、期待したほどの反応はなく(注4)、モーツァルトが予定していた家計の収入と出金のバランスは崩れてしまいます。そこで、6月にはフリーメイソン会員のミヒャエル・プフベルクに借金依頼の手紙(注5)が出されています。プフベルクには、死の直前まで借金を依頼していました。
    K.551は、そのような状況の中で作られ、8月10日に完成しました。

    作曲の動機はよくわかっていませんが、この時期のモーツァルトの経済状況や、モーツァルトが職業的作曲家であったことを考えれば、何処からか注文があったか、演奏会のために作曲したものでしょう。但し、モーツァルトの生前に演奏される機会があったかどうかについては、確証はありません。例えば、演奏の機会がなかったとする立場のモーツァルト研究の大家、アルフレート・アインシュタイン(Alfred Einstein)は次のように述べています。ちなみに、文中の「アカデミー」とは、予約演奏会のことを言います。


    彼は、1789年の冬に数回のアカデミーを開催することができると希望していたのであろう。しかしアカデミーの開催は、この年にも次の2年間にもできなかった──最後のピアノ・コンチェルト(K.595)を彼は1791年3月に、ヒムメルプフォルトガッセの宮廷料理人ヤーンのコンサート・ホールで、クラリネット奏者ベールの音楽会に参加して演奏しなくてはならなかった。こういう事情だから、モーツァルトは最後の3曲のシンフォニーを指揮したことも、聴いたこともなかったかも知れない
(『モーツァルト、その人間と作品』浅井真男訳、白水社、1961年)


    愛称である「ジュピター」は、ローマ神話最高神ユピテルにちなんでつけられました。名付けたのは同時代に活躍したヴァイオリン奏者、ヨハン・ザロモン(Johann Peter Salomon)(注6)で、19世紀半ばにはヨーロッパに広く定着した(注7)といいます。
    自筆稿はベルリン国立図書館に所蔵されており、修正や訂正の少ないモーツァルトにしては、比較的多い修正・訂正の跡がみられます。


曲の構成
第1楽章 Allegro vivace ハ長調 4/4拍子 ソナタ形式
第2楽章 Andante cantabile ヘ長調 3/4拍子 ソナタ形式
第3楽章 Menuetto:Alegretto ハ長調 3/4拍子 複合三部形式
第4楽章 Allegro molto ハ長調 2/2拍子 ソナタ形式


編成
フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2(C)、トランペット2(C)、ティンパニ(C,G)、弦五部

 

 


(注1)
前任のグルックに比べて明らかに少ないとして、モーツァルトに批判的な宮廷からの圧力があったとする説(田辺秀樹など)がある。

一方、このモーツァルトの宮廷(室内)作曲家という地位は、ヨーゼフ2世がモーツァルトのために臨時に設けたもので、その職務は冬季舞踏会のための曲を書くだけの形式的なものであった。これは、職務に比して高すぎるとして、ヨーゼフ2世がモーツァルトがウィーンを離れるのを防ぐために行った人事だとする説(ソロモンなど)もある。
但し、舞踏会用の作品だけでなく、この時期の室内楽の一部もその職務として書かれたものとして、この職は実質的で妥当なものだったとする説もある(ヴォルフなど)。ちなみに、この時期の宮廷楽長サリエーリの給金は、年間1200フローリンだったという。

 

(注2)
ヨーゼフ2世の「ドイツ国民劇場」政策によって、ジングシュピールの公演は、宮廷劇場であるブルク劇場とケルントナートーア劇場が担っていた。ジングシュピールの公演は、1985年10月から閉鎖されるまでにおいては、ケルントナートーア劇場では週に3、4日のペースで行われていた。

松田聡『1786年5〜6月のラクセンブルク宮殿における舞台公演:同時期のウイーン宮廷劇場のオペラ公演との関わりにおいて』、大分大学教育福祉科学部研究紀要27巻1号、大分大学教育福祉科学部、2007年
http://opac2.lib.oita-u.ac.jp/webopac/27-1-1._?key=TVPBQB


(注3)
1784年3月20日付の父レオポルドへ宛てた手紙において、予約者174人の名前を列挙している。


(略)これが私の予約者全部のリストです。 私一人で、リヒターとフィッシャーを合わせたよりも、30人分も多く予約を取りました。
(柴田治三郎編訳『モーツァルトの手紙』100頁、岩波書店、1980年)


だが、1789年の予約演奏会の予約者は、スヴィーテン男爵一人きりになっていたという。


(注4)
モーツァルトの存命中に『ドン・ジョヴァンニ』がウィーンで上演されたのは、1788年の15回だけだった。


(注5)
例えば、1788年6月17日付の手紙にはこう書いてある。

尊敬すべき同志にして、最愛、最上の友よ!あなたが私の真の友人であることを、そしてあなたが私の正直な男だとお考えになっていることを確信していますので、私は元気が出て、自分の心を打ち明け、次のようなお願いを申し上げる次第です。私の生まれつきの率直さに従って、あれこれと体裁を飾らず、本題そのものに入ります。もし、私に対して愛と友情をおもちになり、千ないし二千グルデンを一年か二年の期限で、適当な利子をとってご用立て下さるならば、それこそ私が仕事をして行くのに大助かりとなります!せめて明日までに数百グルデンだけでも、お貸し下さるようお願いいたします。
(柴田治三郎編訳『モーツァルトの手紙』136-138頁、岩波書店、1980年)


(注6)
1745-1815。プロイセン、ロンドンでヴァイオリニストとして活躍し、興行師として活躍、1790年にはウィーンに居たハイドンをロンドンに招いた。尚、ハイドンがウィーンを離れる前日(12月15日)の送別会が、モーツァルトハイドンに会った最後だった。

Johann Peter Salomon ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Peter_Salomon(平成29年6月6日アクセス)


(注7)

1856年といえば、モーツァルト生誕百年という記念すべき年であった。この祝年の機会に、1859年にかけて刊行されたのは、オットー・ヤーン(1813~1869)による4巻に及ぶ膨大なページ数の『モーツァルト伝』であった。そのヤーンの評伝の中には、この交響曲について、次のように記されている。「この曲は、いつなのか、またどこでなのかわからないが、『ジュピター交響曲』という名が与えられた。深い象徴性を示す意図よりも、むしろ曲の荘厳さと輝やかしさを示すためであろう。」
(海老沢敏『モーツァルトを聴く』10頁、岩波書店、1983年)



ルフレート・アインシュタイン、浅井真男訳『モーツァルト、その人間と作品』白水社、1961年
メイナード・ソロモン、石井宏訳『モーツァルト新書館、1999年
クリストフ・ヴォルフ、礒山雅訳『モーツァルト 最後の四年:栄光への門出』春秋社、2015年
海老沢敏『モーツァルトを聴く』岩波書店、1983年
柴田治三郎編訳『モーツァルトの手紙』岩波書店、1980年
田辺秀樹『モーツァルト―カラー版作曲家の生涯』新潮社、1984
松田聡『1786年5〜6月のラクセンブルク宮殿における舞台公演:同時期のウイーン宮廷劇場のオペラ公演との関わりにおいて』大分大学教育福祉科学部研究紀要27巻1号、大分大学教育福祉科学部、2007年


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モーツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551(1)前書

0 前書

 1781年から始まるウィーン時代(注1)のモーツァルトは、J.S.バッハヘンデルらのフーガを濃密に研究する機会を得ました。それは、既に熟練していたといってよい彼の対位法やフーガの技術に更なる厚みを加え、その音楽におけるポリフォニーへの傾倒とホモフォニーとの融合の深化を齎しました。
 1782年4月10日付で、モーツァルトは、父レオポルドに宛てて次の有名な手紙を送っています。


 ぼくは毎日曜日、十二時に、ヴァン・スヴィーテン男爵のところへ行きます。そこでは、ヘンデルとバッハ以外は何も演奏されません。ぼくはいま、バッハのフーガを集めています。ゼバスティアンの作品だけでなくエマーヌエルやフリーデマン・バッハのも含めてです。それからヘンデルのも。(中略)イギリスのバッハ(ヨハン・クリスチャン・バッハ Johann Christian Bach 1753-1782)が亡くなったことは御存知ですね?音楽界にとってなんという損失でしょう!
(海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅴ』225頁、白水社、1995年)


 ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン(Gottfried van Swieten)男爵(注2)は、駐プロイセン大使としてベルリンに滞在した折にC.F.E.バッハとの知遇を得、J.S.バッハの作品を蒐集する機会に恵まれました。ウィーンに帰任後、それにヘンデルやバッハ兄弟の作品を加えたコレクションを、サロンで披露したといいます。
 モーツァルトは、既に卓越した対位法やフーガの技術をもっており、素晴らしいポリフォニー音楽を特に教会音楽として残していました(注3)。この優れたコレクションは、その技術に磨きをかける機会をモーツァルトに与えたのです。
 晩年にスヴィーテン男爵がヘンデルの作品の編曲を依頼してますが、これは男爵のモーツァルトポリフォニーの技術に対する信頼を表しています。男爵は、1789年3月21日付の依頼の手紙で次のように賛辞を述べています。


 ヘンデルをまったく壮麗に、しかも様式感にあふれるかたちで美しく表現することができ、そのため、一方では流行の最先端を行く伊達者にも気に入り、しかも他方では、それでもいつもおのれを崇高さのうちに開示する人、そういう人はヘンデルの価値を感じ取り、彼を理解した人であり、彼の表現の源泉に到達した人であり、そこから確実に汲み尽くすことが出来る人であり、汲み尽くすでしょう。
(海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅵ』487頁、白水社、2001年)


 男爵はここに、ポリフォニーとホモフォニーの高度な融合を見ています。
 もちろん、ポリフォニーとホモフォニーの融合は、バロックから古典期への過渡期であったモーツァルトの時代に、多くの音楽家が試みたことです。しかし、モーツァルトは、そのどちらにも幼いころから精通していたのみならず、同時代や前時代の音楽家の作品への研究を欠かしませんでした。モーツァルトの作品を見れば、早い段階からポリフォニーとホモフォニーの高度な融合が試みられていることが分かります(注3参照)。
 K.551は、そのような卓越した対位法やフーガの技術によるポリフォニーと、時代の潮流であった古典期におけるソナタ形式によるホモフォニーとの融合の極致として、最後の交響曲に相応しい威風をもっているのです。


(注1)
1781年5月、モーツァルトはかねて対立していたザルツブルク大司教コロレド伯ヒエロニュムス(Hieronymus Graf von Colloredo)より解雇され、ウィーンに移る。以後ザルツブルク宮廷と決別し、ウィーン宮廷作曲家(音楽家)としての地位を求めて作曲・演奏活動に勤しむ。

Count Hieronymus von Colloredo ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Count_Hieronymus_von_Colloredo(平成29年6月6日アクセス)


(注2)
1733-1803。
オランダに生まれるが、マリア・テレジアの侍医となった父に同行してウィーンに移る。外交官として長く勤め、ウィーンに帰ってからは宮廷図書館館長、書籍検閲委員長を歴任。バロック音楽に通じ、モーツァルトハイドンベートーヴェンらを後援するなど、ウィーン音楽界の庇護者であり続けた。

Gottfried van Swieten ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Gottfried_van_Swieten(平成29年6月6日アクセス)


(注3)
例えば、『聖節の奉献歌「主の御憐みを」ニ短調K.222(205a)』など。K.551と同じく、ポリフォニーのフーガとホモフォニーのソナタ形式との融合が既に達成されている。

カルル・ド・ニは、この作品について次のように述べている。


対位法の「練習」などというものではない。表情に満ちた冒頭の和音はすぐにフーガに続くが、それは歌詞が神の永遠性を表しているものだからである。この曲の特徴は荘厳極まりないポリフォニーであり、また他に類を見ないほどの豊かな表情をもった非常に斬新なハーモニーでもある。もしこの曲がモーツァルトのどの曲に近いかと聞かれたら、もっとずっと後のたとえば K.427のハ短調の大ミサや、未完のレクイエムを挙げなければならないだろう。
(『モーツァルトの宗教音楽』87頁、相良憲昭訳、白水社、1989年)


また、『モーツァルト全作品事典』(44頁、ザスロー編 森泰彦監訳、音楽之友社 、2006年)は次のように解説している。


モーツァルトポリフォニーにおいても熟練した腕前を示そうと考え、キリストの自己犠牲についての歌詞を応唱の様式で処理する際に、独唱と合唱に分割するという慣習的な方法ではなく、合唱によるホモフォニー(ミゼリコルディアス・ドミニ)とポリフォニー(カンターボ・イン・エテルナム)を交替させる方法を用いた。この交替は11回行なわれる。この作品は、音楽の繰り返しを避け、歌詞の感情的内容に注意を向けている点で、対位法楽曲の傑作となっている。


ルフレート・アインシュタイン、浅井真男訳『モーツァルト、その人間と作品』白水社、1961年
カルル・ド・ニ、相良憲昭訳『モーツァルトの宗教音楽』白水社、1989年
ザスロー編、森泰彦監訳『モーツァルト全作品事典』音楽之友社 、2006年
海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅴ』白水社、1995年
海老澤敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅵ』白水社、2001年
田辺秀樹『モーツァルト―カラー版作曲家の生涯』新潮社、1984

 

 


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法の支配(Rule of Law)(2)アプローチ―田中成明博士による整理

法の支配(Rule of Law)(2)アプローチ―田中成明博士による整理

2 「法の支配(Rule of Law)」概念へのアプローチ

Ⅰ 田中成明博士による整理―形式的アプローチと実質的アプローチ

 前項(「法の支配(Rule of Law)(1)前書」注4参照)で述べたように、「法の支配」における「法」とは慣習法(コモン・ロー)、又は誰もが納得する一般的で抽象的な形式的正義(注1)や手続的正義(注2)であるとする二つのアプローチが通説的である。しかし、我が国においては、「法」の中に、実質的正義(価値)(注3)を見出すアプローチが有力である。
 我が国における法理学の第一人者である田中成明博士(注4)は、「法の支配」概念へのアプローチの違いについて、その大著『現代法理学』(有斐閣、2011年)で、次のように整理しておられる。尚、引用中の注は本ブログによるのものである。


 ”わが国における「法の支配」をめぐる最近の議論では、「法の支配」は、最も狭い意味では、英米における伝統的な「人の支配ではなく、法の支配を」という「法の支配(Rule of Law)」原理と同じものと理解されており、このような共通の理解を背景に、様々な「法の支配」論が展開されている”


 田中博士は、前項で見たように、「法の支配」は、「人の支配」ではない、という法学者の共通した認識を議論の土台としおられる。ここで法の支配は「人の支配ではなく」というように消極的に定義されている。そこでは、「人の支配ではない支配とは如何なる支配か」という疑問、つまり「法の支配」における「法」とは何かについての定義はされていない。したがって田中博士の言うように様々な論が展開される余地がある。

 

 ”そして日本国憲法の基礎にあるのはこのような英米法的な「法の支配」であり、このことは、①憲法の最高法規性の明確化、②不可侵の人権の保障、③適正手続きの保障、④司法権の拡大強化、⑤違憲審査制の確立、などのその特徴に照らして明らかであるという理解が、戦後憲法学(注5)の通説的見解である”


 田中博士によれば、戦後憲法学の通説的見解は、以下の憲法規定(注6)が、日本国憲法が法の支配(≠人の支配、恣意的な権力濫用の抑止という文脈)を組み込んでいることの証左である、という。
憲法の最高法規性の明確化(98Ⅰ)
②不可侵の人権の保障(11及び13)
③適正手続きの保障(31)
司法権の拡大強化(76)
違憲審査制(81)
 思うに、どれだけ法の支配に合致する憲法規定を引いても法の支配を組み込んでいることの証左にはならない。例えば①について言えば、なぜ憲法が国の最高法規か、という疑問に「憲法98条にそう書いてあるから」と答えたのでは、証明したことにならないように、日本国憲法は法の支配を組み込んでいるかという疑問に「憲法〇条にそう書いてあるから」と答えたのでは証明したことにならない。所謂自己言及のパラドクス(注7)である。


 ”「法の支配」の概念や要請内容をめぐる最近の議論については、フラーの「合法性」概念(注8)などを中核に法の形成・実現に関する形式的・手続的要請に限定して理解する形式的アプローチと、一定の基本権・民主制・立憲主義などの制度的要請を取り込んで理解する実質的アプローチとを対比する構図が一般的である”

 田中博士は、「法の支配」概念へのアプローチを、「形式的アプローチ」と「実質的アプローチ」に分類する。本ブログでは、この別を前提として、我が国の法学者達の論を見ていくことにする。
 ところで、ここで本ブログの立場(我が国の歴史と文化によって自生的に生起した慣習が、実践を通して古き良き慣習法(コモン・ロー)として発見され、実定法に優位する法原則として機能する)は実質的アプローチに近いが、異なる。
 例えば、ウィキペディアによれば、「法の支配」概念へのアプローチには、3つの手法があるという。

 ”Among modern legal theorists, one finds that at least two principal conceptions of the rule of law can be identified: a formalist or "thin" definition, and a substantive or "thick" definition; one occasionally encounters a third "functional" conception.”

https://en.wikipedia.org/wiki/Rule_of_law#Meaning_and_categorization_of_interpretations

Rule of Law ウィキペディア(平成29年6月4日アクセス)

 3つ目の「Functional Definition」について、同じく3つの手法に分類しているものによれば、

 ”A third approach to the rule of law is similar to the substantive definition, but tries to avoid the thorny normative issues by focusing on how well the law and legal system perform some function.”

 ”The functional definition of the rule of law is broadly consistent with the traditional meaning of the English phrase, which has usually been contrasted with "rule of man."It has the advantage, too, of defining the rule of law according to outcome-related criteria, but not requiring a moral verdict on the desirability of that outcome. ”

http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/TOPICS/EXTLAWJUSTINST/0,,contentMDK:20763583~menuPK:1989584~pagePK:210058~piPK:210062~theSitePK:1974062,00.html

Rule of Law as a Goal of Development Policy, The World Bank(平成29年6月4日アクセス)


 つまり「法の支配」概念へのアプローチにおける本ブログの立場は、上に言う「functionalアプローチ」に近く、次のようなものである。

・「法」の中に「慣習(法)を尊重せよ」という実質的価値を含む点で「実質的アプローチ」に類似している。

・しかし、「法の支配」概念の内容に焦点を当てるのではなく、その機能(function)に焦点を当てる点で、「形式的アプローチ」、「実質的アプローチ」と異なる。

・「形式的アプローチ」、「実質的アプローチ」は、「法の支配」における「法」とは何か、という正義の問題からアプローチを開始するが、「functionalアプローチ」においては、何が「法」かという正義の問題に体系的に答えることはできない。

・なぜなら、歴史と文化から自生的に生起した慣習が実践を通して古き良き慣習法(コモン・ロー)として「発見」され、これが「法の支配」における「法」として実定法を統御・否定すると考えるからである。「法」の生成・内容は共同体それぞれの歴史と文化、慣習に依存しており、「あるべき法」よりも「ある法」、そしてその発生と機能を重視する。

・したがって、「functionalアプローチ」においては、「人の支配」=権力濫用、の抑止という「法の支配」が機能しているかというアプローチから開始すれば足りる。




注1
 法が一般的で抽象的であるとは、法が普遍化可能性を満たしていることといってよい。つまり、法は、特定の人に対して特定の方法で適用されるのではなく、全ての人に対して不偏不党に適用されるルールでなければならない。
「等しきものは等しく、等しからざるものは等しからざるように取り扱え」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)

「法の社会的役割と基本的価値の理解のために」(田中成明教授資料) 法務省
http://www.moj.go.jp/content/000004263.pdf


注2
 手続的正しさを満たすこと。それによって結果の正しさが確保される。ここで手続的正しさは、例えば自然的正義(不利益の告知及び聴聞並びに自己裁判の否定)、適正手続(due process)の観念を基礎に形成される。

「法の社会的役割と基本的価値の理解のために」(田中成明教授資料) 法務省
http://www.moj.go.jp/content/000004263.pdf

Procedual Justice ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Procedural_justice(平成29年6月4日アクセス)

Administration of justice ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Administration_of_justice(平成29年6月4日アクセス)

Natural justice ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Natural_justice(平成29年6月4日アクセス)

Due process ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Due_process(平成29年6月4日アクセス)


注3
 「法」の正しさを形式的正義・手続的正義といった法に内在する価値に限定するのではなく、法の外にある政治的・経済的・道徳的な価値に依存させる。
 例えば、我が国の戦後憲法学は、基本権・民主制・立憲主義などの価値を満たさなければ、「法」とは言えないとしてきた。

「法の社会的役割と基本的価値の理解のために」(田中成明教授資料) 法務省
http://www.moj.go.jp/content/000004263.pdf


注4
 昭和17年-、京都大学名誉教授。我が国法理学及び法哲学の第一人者。理念的なドイツ法学に耽溺する所謂東大法学とは異なり、司法の実践(裁判)を重視した法理学を探求。英米法にも明るい。

田中成明 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%88%90%E6%98%8E(平成29年6月4日アクセス)


注5
 戦後の憲法学は、二大潮流として、

東大憲法

宮沢俊義小林直樹芦部信喜高橋和之、渋谷秀樹、樋口陽一、野中俊彦、高見勝利、深瀬忠一、中村睦男、安西文雄、巻美矢紀、宍戸常寿、渡邉康行、松本和彦ら

京都学派憲法

:佐々木惣一博士、大石義雄博士、佐藤幸治、大石眞ら

があるが、どちらもドイツ・フランス流の大陸法学の影響が強い。
 本ブログは、英米法学の潮流を汲む長谷部恭男博士、伊藤正己博士、阪本昌成、松井茂記らの学説に納得するところ多い。

講座担任者から見た憲法学説の諸相-日本憲法学史序説 高見勝利
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/15092/1/52%283%29_p1-38.pdf


注6
憲法の最高法規性の明確化
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない(98Ⅰ)
②不可侵の人権の保障
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる(11)

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(13)
③適正手続きの保障
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない(31)
司法権の拡大強化
すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する(76Ⅰ)

特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない(76Ⅱ)

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される(76Ⅲ)

違憲審査制
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である(81)

 「法の支配」とは、「高度な技術を持つ専門家(裁判官など)が具体的事件において妥当な結論を正当化する(技巧的条理)」ときに発見される慣習法(コモン・ロー)が実定法(人の意思)を統御することである。
 しかし、例えばフランス革命以後の合理主義哲学、民主主義の昂揚の影響を受けた法治主義国家ドイツにおいては、連邦憲法裁判所があらゆる種類の法規範について具体的事件を離れて合憲性を判断できた。そこでは、法とは発見される=自生的なものではなく、所与のもの=人為的なものであって、憲法典=実定法(人の意思)が最高規範であった。最高規範たる憲法典=実定法(人の意思)は、基本権・民主制・立憲主義という実質的正義(価値)を内包しており、その諸価値は絶対で、それらを内包しているが故に「法」であるという者すらあった。
 これでは、憲法典=実定法(人の意思)が支配する「人の支配」、「法治主義」でしかないのである。「法の支配」概念を、「実質的アプローチ」によって解釈することは危険である。例えば、共産主義という実質的価値が絶対的価値として憲法典に書き込まれたことがあったことを思い出せばよい。


注7
 ある集合の公理を、ある集合内の公理によって論証することはできない。

Liar paradox ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Liar_paradox(平成29年6月4日アクセス)


注8
 田中博士は、フラーの「合法性」概念について、同書で次のように述べている。

 ”「合法性(legality)」という一連の手続的要請を法システム自体の存立と作動に関わる内在的な構成・運用原理として提示したL.L.フラー(は)、(中略)一般的に目的=手段関係の考察において、社会的目的を実現する制度や手続自体に内在する制約を重視すべきことを力説した”
 ”法システムについても、合法性を「法を可能ならしめる道徳」「法内在的道徳」として、この種の内在的制約と位置づけ、この合法性が法によって実現できる実質的目的の種類を限定していることに注意を喚起している”
 ”フラーは、合法性の基本的要請として、①法の一般性、②公布(の事実)、③遡及法の濫用の禁止、④法律の明晰性、⑤法律の無矛盾性、⑥法律の服従可能性、⑦法の相対的恒常性、⑧公権力の行動と法律との合致、という八つを挙げている。合法性の要請は基本的に手続的なものであり、法外在的な実質的目的に対しても、たいていは中立的であるが、人間を責任を負う行為主体とみる点では中立的ではなく、 このような人間の尊厳を損なう実質的目的を法システムによって追求することは許されないと考えている”

 「形式的アプローチ」が考える「法の支配」における「法」(形式的正義・手続的正義)は、フラーの「合法性」の要請に概ね合致している。言い換えれば、「形式的アプローチ」にいう「法の支配」とは、法が法であるための条件を定めた「法」が、実定法(人の意思)を制御し、否定することをいう。
 尚、フラーは再生自然法論者で、この「法」を法に内在する「道徳」であるとし、それが、法に組み込める実質的正義(価値)を限定しているとする立場であり、実質的アプローチに立つ。

 

 


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法の支配(Rule of Law)(1)前書

法の支配(Rule of Law)(1)前書


1 法の支配(Rulee of Law)の確立―高柳賢三博士の格調高いエピソード

 我が国の英米法学の泰斗である高柳賢三博士(注1)は、その著書『英米法講義 第三巻 司法権の優位』(有斐閣、1958年)において、次のようなエピソードを紹介されている。尚、文中の注は本ブログ。

 一六一二年一一月一〇日(注2)、ちょうどそれは日曜日であった。カンタベリー大僧正パンクロフトの訴によって、他の裁判官たちとともに、国王ジェイムズ一世の御前に召されたコモン・ロー裁判所首席裁判官エドワード・コーク(注3)は、(中略)コモン・ロー優位ならびにこのより高い法の解釈についてのコモン・ローの権限について、彼の持論を述べる機会が与えられた。(中略)コークはジェイムズ一世の前に平伏して、「陛下よ、陛下は神より聡明なる資性を恵まれておいでになるが、しかし陛下はイギリスの法律に通暁されていない。そして陛下の臣民の生命と財産に関する事件は、自然的条理 national reason によって決せられるべきではなく、技巧的条理 artificial reason および法的判断によって、決せられるべきである。そして法は、永年の経験と研究によりはじめてこれを知りうる技術である(注4)」旨を奏上したのである。ジェイムズ一世はこの答弁をお聞きになるや激怒の色を面に表して、「国王が法の下にあると主張するのは大逆罪だ」と宣べられた。これに対してコークは冷静水のごとく、ブラクトン(注5)の古語を引いて「国王は何人にも従うべきではない。ただ神と法とに従わねばならぬ(注6)」旨を奏上したのである。

 類似のエピソードは、高柳博士の格調に遠く及ばないものの、様々な書籍で「法の支配」の確立をよく表すものとして紹介されており、このコーク卿の言葉が「法の支配(Rule of Law)」の概念の原型だといってよいだろう。
 では、コークのいう「法の支配」の概念とは如何なるものか(注4参照)。本ブログは、コーク卿のいう「法の支配」に立脚しているが、その理解のためには、英国「法」(コモン・ロー)とは何か、そしてその(運用・適用の)実践についての理解が必要になる。ここでは、「裁判などの実践において、法的判断をすることが可能な専門家集団(裁判官など)が妥当な結論を正当化する(技巧的条理 artificial reason)際に発見する古き良き慣習法(コモン・ロー)が、人の意思による実定法を統御・否定する」こと、とするに留めておく。
 また、このような「法の支配」の概念は、「発見」される慣習法(コモン・ロー)による支配という意味から、人為的な憲法典を最高法規として、そこに実質的正義(価値)を見出して法治主義に至ったり、逆に「法の支配」を形式的正義・手続的正義による支配、と限定するなど、拡大・縮小しており、議論が絶えない。
 そこで、ひとまず「法の支配」の概念を消極的に定義しておく。
 つまり、
・法の支配は、人の支配(注7)ではない
・法の支配は、法治主義(注8)ではない
 この点については、多くの法学者が一致をみていると思われるからである。
 その上で、以下では「法の支配」の概念とは如何なるものかについて、我が国の憲法学者法哲学者に見たい。

 尚、本ブログで「法の支配」について扱うのは、先に述べたように、本ブログが、我が国の歴史と文化によって自生的に生起した慣習が、実践を通して慣習法(コモン・ロー)として発見され、実定法に優位する法原則として機能していると考えているからである。例えば皇位継承は係る意味での「法の支配」に服している(慣習法たる男系継承)以上、所謂女系天皇践祚は認められないものと考える。



注1
 東京帝国大学法科大学卒、東京大学法学部教授、戦後は成蹊大学学長も務めた。美濃部、宮澤らがドイツ法学に耽溺したのに対し、高柳博士は戦前・戦後を通じて我が国英米法学の第一人者であった。明治20生まれ、昭和42年没。勲一等瑞宝章正三位

高橋賢三 ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9F%B3%E8%B3%A2%E4%B8%89


注2
 年月日は、コークの判例集(The Reports of Sir Edward Coke, Lord Chief Justice of England, PartⅫ)の禁止令状事件(the Case of Prohibitions)のエピソードに拠っている。高柳博士はこのエピソードを「大体コークの判例集を基礎とした記述であるが、この記述が正確であるのか否かについては疑いがある」とされたうえで、「この事件についての歴史的考証をなしたものとして」次の文献を挙げておられる(未確認)。

Roland G. Usher, James I and Sir Edward Coke, The English Historical Review Vol. 18, No. 72 (Oct., 1903) Oxford University Press

 尚、コークの判例については以下を参照。

England and Wales High Court (King's Bench Division) Decisions, Prohibitions, Case of [1607] EWHC KB J23 (01 November 1607) , JISC-Supported Leading Cases
http://www.bailii.org/ew/cases/EWHC/KB/1607/J23.html(平成29年6月1日アクセス)


注3
 コークについては以下を参照。

Edward Coke ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Coke


注4
 「(慣習)法(コモン・ロー)」は、「永年の経験と研究によりはじめてこれを知りうる(共同体の歴史と文化により自生し、発見される)」のであって、高度な技術を持つ(=「法的判断」のできる)専門家集団(主に裁判官)が妥当な決定を理由づける(「技巧的条理」 artificial reason) 際に発見され、運用・解釈される。そして、「王(の意思たる勅令等)」は、その「(慣習)法(コモン・ローの)」の下にあって、統御・否定される。これがコーク卿のいう「法の支配」である。
 一方「法」を、形式的正義・手続的正義に限定して解する立場では、決定が妥当であるためには、適用される法が全ての共同体構成員に受け入れられる一般的で抽象的なものでなければならないとする。この「一般的で抽象的なものでなければならない」というルールを彼らは「法」と呼ぶ。すなわち、「法」とは法が法であるための条件であり、この「法(形式的正義・手続的正義)」によって王や人民の意思=法は統御・否定されなければならない、としてこれを「法の支配」と呼ぶ。
 本ブログは、前者の立場が「法の支配」の歴史的解釈であると考えるが、ハート(Herbert Lionel Adolphus Hart)等、法実証主義者が台頭してきた近代にあっては、後者の解釈も有力である。
 尚、この二つの解釈の他に、「法の支配」における「法」に人為的な実質的正義(価値)を組み込む立場があり、我が国ではこの立場が主流である。この立場においては、例えば人権という実質的正義(価値)を「法」であるとして、人権のない天皇の存在は「法の支配」に反するとするものがある。この立場は何らかの価値に立脚する点で、結局「人の支配」と同じである。
 ところで、高柳博士はここで reason の訳として「条理」を用いておられるが、一般には「理性」を用いる場合が多い。「条理」という言葉は、自然法(すなわち実質的正義)との差別化を明確にするとともに、コモン・ローが実質的価値を含まない、慣習法又は形式的正義や手続的正義に留まる、ということを明確にしようとお考えになったのではなかろうか。
 また、コークはボナム医師事件(Bonham's Case)において論を述べている。
 正義論などもいずれ本ブログでも取り扱うことになろう。


注5
 ブラクトンについては以下を参照。

Henry de Bracton ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_de_Bracton


注6
「国王は何人にも従うべきではない。ただ神と法とに従わねばならぬ」
(Ipse autem rex non debet esse sub hemine, sed sub Deo et sub lege)
 『イングランドの法と慣習法』(De Legibus Et Consuetudinibus Angliæ)にある法諺。英国法制史の泰斗であったフレデリック・メイトランド(Frederic William Maitland)は、この法諺について"the crown and flower of English jurisprudence."(英国法学の冠と華)としている。

以下を参照。

Bracton: De Legibus Et Consuetudinibus Angliæ, Harvard Law School Library
http://bracton.law.harvard.edu(平成29年6月1日アクセス)


注7
 ある権力者(国王や集合としての国民)による恣意的な権力発動による支配。
 注4にあるように、「法の支配」とは、慣習法(コモン・ロー)又は形式的正義・手続的正義が「法」としてこれを統御・否定することをいう。


注8
 (国民の権利義務に関する)立法は、国民意志の代表である議会で実定法化され、行政の執行は法律に依存し、裁判所は法律に準拠して裁判を行わなければならない、とする理論。合理主義哲学やフランス革命以後の民主主義の風潮によって、民衆の意思が法を作り、民衆の意思によって行政と裁判が行われるようになった欧州大陸で盛んになった。
 注4にあるように、慣習法(コモン・ロー)や形式的正義・手続的正義という「法」は、実定法=民衆の意思を統御し、否定する。

詳しくは以下を参照。

Rechtsstaat ウィキペディア(平成29年6月1日アクセス)
https://en.wikipedia.org/wiki/Rechtsstaat




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